元・陸上幹部自衛官の13年間の奮闘記

ダメダメ大学生だった元陸上自衛官の13年間の自衛隊での経験や教訓を共有するブログ

【元空挺隊員が語る】陸上自衛隊第1空挺団での幹部自衛官としての勤務シリーズ⑥ 〜福島原発事故災害派遣での貴重な経験〜

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防衛省自衛隊公式HPより引用)

 

こんにちは。

元・国防男子の大吉です。

 

今日は昨日の続きで、空挺団時代に参加した東日本大震災への災害派遣についてお伝えしたいと思います。

 

このときの自衛隊災害派遣での活躍により、

国民の自衛隊に対する評価が大きく変化しました。

 

前回の記事をまだ読んでいない人は、是非読んでみてください!

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future-oriented.hatenablog.com

 

 

災害派遣出発前の出来事

まさか!?任務を放棄して隊員が逃亡した!

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防衛省自衛隊HPより引用)

 

福島第一原発事故が発生後、

福島県の郡山駐屯地に派遣されていた東京都にある練馬駐屯地の

第1特殊武器防護隊の3等陸曹が

自衛隊車両や民間車両を窃盗して逃亡したというニュースが流れた。

 

本人曰く、原発事故への恐怖心でパニックになって逃亡したらしいが・・・

その後、この隊員は懲戒免職となった。

 

特殊武器防護の隊員だったので、生物剤、化学剤や放射線に関する知識は

他の職種の隊員よりも持っている。

 

気持ちはわからなくもないが・・・

なぜ、部隊の上司や同僚に打ち明けられなかったのか?

 

敵前逃亡による不名誉な離職・・・

そして、陸上自衛隊への国民の信頼を損なう行為

やはり、いざとなった時にこういう隊員も出てくるんですね。

こういう危機的状況下でのリーダーシップの難しさを感じました。

入校?こんな国家の一大事の時に?

空挺団の災害派遣が決まったのだが、

実は、僕は空挺団の災害派遣出発の2週間後に、

幹部上級課程」への入校が決まっていた。

この教育は、東日本大震災の発災前からすでに決まっており、

この教育に向けた準備をしていた。

 

そんな中、未曾有の大災害が発生してしまった。

 

こういう状況なので、教育は延期になるだろうと思っていたが、

陸上自衛隊としては、教育は予定どおり実施するという方針だった。

 

こんな大災害の時に・・・

少し、教育期間をずらせないのだろうか・・・

部下たちは、放射線を浴びながら任務を遂行しているのに・・・

なんで悠長に教育なんか受けないといけないんだ?

 

そう考えた僕は、中隊長に、

「教育入校を1年、後らせたいんですけど・・・」

とお願いをしたのだが、

 

「ダメだ。陸上自衛隊で決めたことだから、それに従え。」

ということだった。

 

仕方ない・・・

 

しかし、小隊長として隊員たちの「士気」に関わるので、

少しの期間でも参加させてもらうことを要望した。

 

その結果、

部隊運用の立ち上げ部分に関わらせてもらうため、

わずか一週間だけだったが、

今回の災害派遣に参加させてもらえることになった。

いざ、災害派遣

空挺団の後方指揮所へ到着

 

千葉県の習志野駐屯地から福島県へ移動中、

一部の高速道路は通行規制がかけられていた。

そのため、福島県へは比較的スムーズに入れた。

 

そして、災害派遣へ向かう陸上自衛隊の部隊や、

関西地区からの県警の災害支援チーム御一行と遭遇した。

あんなパトカーの大行列は見たことがなかった!

 

異様な光景だった・・・

 

当初の空挺団の後方指揮所は、福島県にある白河布引山演習場内

設定された。

そして、空挺団の主指揮所は、陸上自衛隊郡山駐屯地に開設。

 

当初の任務は、住民避難の誘導

この後、行方不明者の捜索等の任務も付与された。

 

当初の間、中隊はここの後方指揮所で作戦計画を作成・修正し、

災害派遣への準備を整えた。

 

3月下旬というのにまだ雪が残っていて寒かった

被災された方たちはこんな寒い中、十分な物資もない中で生活をしているのか・・・

被災者の身の上を考えると居たたまれない気持ちになった。

隊員たちへの意思確認

これから、前方の放射線地域で活動しなければならない。

しかし、これから家庭を築いていかなければならない若い隊員を

前方に行かせるわけにはいかない

だから、これから新婚者や子供をつくる予定のある隊員は、

前方地域での任務から除外した。

 

そして、その他の隊員への意思確認。

 

「前方地域へ行けるか。行けないか。」

 

つまり、放射能の危険性のある地域で任務を実施することができるか否か。

 

究極の質問

 

空挺団が活動するための通信所をすぐに立ち上げなければならない。

そのためには、まず図上で見積もった通信所適地の偵察し、

そこで通信所を運営できそうであれば、

通信所を開設して暫くの間留まる

 

但し、

放射線量を図るための装備品の割当てはない。 

陸上自衛隊の装備品を回収したのだが、それでも足りない。

あまりに無責任なことを隊員たちに

押し付けてしまっているという自覚はあった。

でも、どうしても装備品が足りない・・・

 

このとき、陸上自衛隊の装備が放射線や化学剤などに対して、

如何に脆弱であるかを露呈してしまった

母親からの電話

そして、僕が郡山駐屯地で仕事をしていたとき、

母親から電話があった。

 

「あんた、今どこに居るん?」

 

「今、福島県の郡山駐屯地だけど、これからもう少し福島原発の方へ行かないといけなくなりそう。でも、教育があるからすぐに千葉に帰らないといけなくなるけどね。」

 

「そう。テレビのニュースで見たよ。」

「まあ、あんたが選んだ職業だし、もっと困っている人たちがそこにいるんやから、しっかりやってきなさいよ。」

「体に気をつけてね。」

 

家族に話すと心配するから、何も言わずに災害派遣に出かけたのだが、

テレビのニュースを見て空挺団が福島で活動していることを知ったらしい。

 

母親の対応は意外にもサラッとしていた。

でも、すごく心配してたんだろうな・・・多分

でも、これがあなたの息子の仕事だから。

 

同じように、

他の隊員の家族も心配しているんだろうな・・・

何とか無事に任務を完遂できればいいのだが・・・

貧弱な装備品を頼りに、より前方地域へ

部隊で装備している放射線を測定する装備品は、これだけ!

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(出典:陸上自衛隊第3特殊武器防護隊HPより引用)

 

この心許ない器材が数個あるだけ

圧倒的に貧弱、かつ数量不足

 

凶暴な大熊に木枝を持って戦いを挑むようなもの

 

自殺行為。 

 

この器材が各通信所に行き渡る程の数を用意できなかった。

 

仕方なく・・・

 

小隊長が、偵察のときにこの線量計を持って行って、

しばらく放射線量を測定する。

そして、放射線量が高ければ別の場所に通信所を変更する。

それほど高くなければ、その場所に留まって通信所を運用する。

 

陸上自衛隊の上級部隊からは、

放射線による被爆許容量が定められていた。

その数値を超えた場合は、速やかに人員を交代させる。

 

しかし、

最大の欠点は、

数量不足もあり、各通信所に装備品が行き渡らないため、

その通信所での放射線量の累計を図ることができない。

 

これって、やばくね?? ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

とりあえず、

当面の処置としては、

1時間その場所に留まり放射線量を図り、

それに時間を掛けて算出するしかなかった

 

こんなので大丈夫なんだろうか?

 

隊員たちに納得をさせて、通信所を運営してもらわなければならない。

 

「ここは、そんなに放射線は飛んでいないみたいだから大丈夫だ。」

 

「本当ですか?小隊長。俺たちもその線量計ほしいんですけど・・・」

 

(そうだよな。こんな心許ない装備品でも、一応計測できているみたいだし、持っていれば安心だもんな。でも、無いんだよ・・・)

 

「わかった。帰ったら、もう一度団本部に行って確保できないか調整してくる。」 

 

「よろしくお願いします。」

 

という会話をして通信所から離れる。

 

本当に申し訳ないな・・・・

 

そして、空挺団は福島県飯舘村前方指揮所を開設する

ことを決定した。

それに合わせて、通信所の位置も変更する。

飯舘村は山々に囲まれていたため、

放射線の影響は少ないだろうという判断だったのだろう。

 

飯舘村で通信所を開設するための偵察をしていたとき、

地元の住民たちが道路で避難車両の誘導をしていた。

そして、

僕たちが、自衛隊の車両で通過するたびに

ご丁寧に敬礼をしてくれた。

 

大変な時期にもかかわらず、

僕たちに対して敬意を払ってくれていることに感謝した。

 

僕たちが活動することで、

飯舘村の住民たちを少しでも勇気づけられただろうか。

 

僕の短い災害派遣は終わった。

そして、中隊長と約束をした1週間が経過した。

僕は、これから教育入校のために部隊に帰らなければならない

 

この1週間は殆ど寝ることができず、働きずくめだった。

 

そして、毎食自衛隊の缶詰類

 

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(出典:http://www.mod.go.jp/pco/kanagawa/pic/kan-mesi/kan-mesi.html

 

味がものすごく濃く高カロリーのため、

これを食べ続けたら体がおかしくなる

でも、食べられない人もいるので贅沢は言えない。

 

発災で交通機関が麻痺していたため、物流も麻痺

もちろん、被災地のコンビニ等で買い物をすることはできない

被災者の食料を奪ってしまうことになるから。

 

隊員たちはこのような状況下での、長丁場の災害派遣が予想されるので、

かなり大変な任務になるだろう。

でも、被災者はもっと辛く絶望的な思いをしている。

 

後ろ髪を引かれる思いで、

泣く泣くその戦場から離脱した。

 

そして、千葉県に帰った後、

テレビのニュースで1日の放射線量が放映されているのを目にした。

実は飯舘村放射線量は結構高かったことを後で知った。

 

最後に

僕が6ヶ月の幹部上級課程に入校中に空挺団の災害派遣任務は終了した。

僕は、1週間程度しか参加できず、福島第1原発から遠い地域でしか

活動できなかったが、本当の脅威を感じながらの災害派遣となった。

 

僕が入校中も、空挺団の隊員を始め多くの陸上自衛隊員が、

被災地のため被災者のために長期間に渡る災害派遣任務を完遂した。

 

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(出典:福島県南相馬市HPより引用)

 

↓ ↓ 防衛省で作成した東日本大震災の活動記録です。


東日本大震災 災害派遣活動記録映像

 

 

この真摯な活動の結果、

自衛隊に対する評価は一気に高まった

 

 

この【自衛隊に対する国民意識】によると、

 

自衛隊に良い印象を持っている」と答えた割合は、

2009年1月には、80.9%

震災後の2012年2月の調査では、91.7%にまで増加している。

 

なんと!

10%以上の伸び!

 

 

自衛隊の活動は、

国民の理解と信頼と協力があってこそできるものです。

 

昭和32年防衛大学校の1期生の卒業式での

吉田茂初代首相の訓話

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(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82

 

吉田茂初代首相の防衛大学校卒業式での訓話

 

 「君達は自衛隊在職中、

 決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく

 自衛隊を終わるかもしれない

 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。

 御苦労だと思う。
 
 しかし、

 自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、

 外国から攻撃されて国家存亡の時とか、

 災害派遣の時とか、

 国民が困窮し、国家が混乱に直面している時だけなのだ。
 
 言葉を換えれば、

 君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ

 どうか、耐えてもらいたい。

 

確かに、自衛隊が日陰者の方が国民にとっては幸せな時代なんですよね。

 

吉田首相が防衛大学校訓話した時代には、

自衛隊は税金泥棒”と言われていた時代。

 

国民の生命・財産を守るために尽力しているにもかかわらず、

理解されることがなかった暗黒の時代

 

その頃に比べて、国民の理解も深まり活動しやすくなったと思います。

 

吉田首相の訓示の通り、

これまでの自衛官たちは、

何十年とずっと「耐えてきた」。

国民の理解が得られるまでずっと耐えてきた。

この地道な活動・努力があったからこそ。

 

個人も同じで、

他人からの信頼を得るためには、地道に信頼されるような努力を積み重ねていくしかないんですよね。

 

将来、更に自衛隊への国民の理解が深まるようになればいいなと願っています。

そして、元・陸上自衛官としてこれからも自衛隊を応援して行こうと思います。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も皆様にとって良い一日となりますように。

 

元・国防男子 大吉